腸チフスのメアリー

 

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 もし人を裁いてもいいという許可を与えられたのなら、 あなたなら彼女をどう裁きますか?

当然の 有罪 ですか?

それとも 無罪 にして自由を与えますか?

 

これは実在した 究極の選択 である。

 

 

1897年、ニューヨーク州ママロネックの大富豪の家族が、体温が階段状に上昇する高熱を出し、 胸腹部にバラ疹と呼ばれる小指爪大の発疹と共に強烈な腹痛を訴え、意識障害を起こした。

 

下痢をしない者もいたが、10日後には家族だけでなく召使い達も倒れ、病院に搬送された。

 

しかし、たった一人、まだ雇われたばかりの賄い婦は搬送されなかった。

この賄い婦が、後に タイフォイド・メアリー(腸チフスのメアリー) という悪名で名が知れ渡る女性、 メアリー・マロン である。

 

メアリーは1869年、アイルランドに生まれた。

当時のアイルランド1840年代後半のジャガイモ飢饉に端を発した食糧難と貧困から、アメリカ合衆国へ移住する人が後を絶たず、 彼女も14歳の時に1883年、単身でニューヨークへと移住した。

 

手に職を持たなかったメアリーは、ニューヨーク周辺で家事使用人として働いていたが、 やがて料理の才能に目覚め、1900年頃までにはその腕の良さと、子供のような善良な人柄が評価されて、 その結果大勢の人々から信頼を集め、住み込み料理人として富豪宅に雇われ、他の使用人よりも高給を得ることができる身分になっていた。

 

しかし、そんな彼女に疫病という名の運命の嵐が吹き荒れることになる。

 

20世紀初頭、ニューヨーク周辺では腸チフスの小規模な流行が散発的に発生していた。

 

上述に書いた通り、メアリーが雇われていたママロネックに住んでいた大富豪の家族達もこの疫病の被害に見舞われてしまい、 彼女の懸命な看護にも関わらず病状は重くなる一方であった。

 

1900年~1907年の7年間に、メアリーは何回か勤め先を変えたが、その間わかっているだけで彼女の身近で22人の患者が発生し、 そのうち洗濯婦をしていた若い女性1人が死亡してしまった。

 

メアリーが看護していた富豪達の中の一人から腸チフスの原因を解明する仕事を依頼された衛生士のジョージ・ソーパーは、 疫学的な調査を地道に行って、その結果、一つの事実を見出した。

 

それは、『メアリーが雇われた家庭のほとんどで、 彼女がやってきた直後に腸チフスが発生している 』ということだった。

 

この結果から、ソーパーは「メアリーの胆のうをチフス菌が住み家としているのではないのか?」と疑い、

1907年にメアリーが雇われていたニューヨーク近郊の富豪宅を訪れた。

 

ソーパーはメアリーに

「あなたのがチフス菌の保菌者である可能性がある。調査のために尿と糞便のサンプル提出をしてほしい」と要求した。

 

しかしメアリーは、「嫌です! 私はどこも痛くも痒くもない!! 病気になんてかかっていません!!」

と激昂し、ソーパーを追い返した。

 

しかし、自分の調査結果に確信を抱いていたソーパーは、ニューヨークの衛生局に勤めていたハーマン・ビッグスに、

「メアリーが腸チフスに感染している可能性が高い。しかし、彼女はそのことに全く気付いていない。なんとか説得できればいいんだが…」と相談した。

 

ビッグスはソーパーの仮説に賛同し、医師のジョセフィン・ベーカーをメアリーの元に赴かせ、再び説得に当たった。

 

しかしメアリーは「嫌よ! わたしはどこも悪くない!! 今すぐここから出ていけ!!」と激怒し、フォークを振り回して抵抗したため、

説得は無駄だと感じたソーパーとビッグスは、五人の警官を導入し、5時間の探索の末、クローゼットの中に隠れていたメアリーを引きずり出して拘束。

そのまま身柄を確保した。

 

衛生局で細菌学的な検査が行われた結果、彼女の便からチフス菌が検出された。

 

このことからメアリーは、それまで腸チフスを発症したことがなく、彼女自身が病気になったり、保菌者であるという自覚のないまま、

周囲の人に感染を広げる 健康保菌者 であることが分かった。

 

当時の細菌学の考えでは、チフス菌のような毒性の高い細菌が「表に出ない感染」を起こすということは知られておらず、

ソーパーはこの特殊な症例をJAMA誌に発表。

 

メアリーはノース・ブラザー島の病院に収容、隔離された。

 

この検査結果を突きつけられてもメアリーは納得しなかった。

 

というのも、彼女はそれなりに教養を身に付けてはいたが、

「健康保菌者が存在する」という考えは当時の一般社会から見ればあまりにも突飛なものであったため彼女には受け入れられず、

「いわれのない不当な扱いを受けている。あんまりよ…」という思いを募らせるばかりであった。

 

衛生局は1年以上にわたってメアリーの便からチフス菌が排出されつづけていることを確認していたが、

メアリーはサンプルを別の医師に送って独自に検査を行い、その結果、チフス菌が検出されなかったという報告を受けたことで、

さらに自分が不当な扱いを受けているという確信を強め、隔離から2年が経過した1909年に、衛生局相手に隔離の中止を求めて訴訟を起こした。

 

この訴訟の間も、メアリーは隔離されたままであり、病室のガラス越しに新聞記者の取材を受けた。

 

これが世間の注目を集め「 腸チフスのメアリー 」の名を広めるきっかけになり、

 

「いくら感染してたことを知らなかったとはいえ、あの女は死者も出してるんだぞ! 隔離して当然だ!!」

「一切罪を犯してないのに、隔離して病原菌のサンプル同然に扱うなんて、あんまりだわ!」

「あんな汚物は焼いて抹殺しろ!! 汚物は消毒だ~!!」

「一人のか弱い女性を一年間も軟禁するのは人権侵害なんじゃないのか!? 衛生局のソーパーとビッグスには人の血が通ってないのか!!」

 

と、当時の世論は真っ二つとなり、新聞でもメアリーをどう裁くかでその是非が問われた。

 

結局、訴訟は衛生局側の勝訴で終わったが、流石に司法も彼女の人権を守れという世論に負けたのか、

メアリーには隔離から解放されるきっかけが与えられることになり、1910年に

 

(1)食品を扱う職業にはつかないこと

(2)定期的にその居住地を明らかにすること

 

という2つの条件を飲むことで、メアリーは隔離病棟から出ることを許され、再び自由を得た。

 

同年には多くの州が「メアリー・マロンに賄い婦としての仕事をすることを一生禁ずる」という「タイフォイド・メアリー法」が制定。

 

もちろんこの法の制定には「一人の女性を法で隔離しようだなんて横暴だ!!」という批難が浴びせられた。

 

メアリーはしばらく衛生局との取り決めを守り、洗濯婦など食品を扱わない家事使用人としての職に付き所在を定期的に連絡していたが、

自分を隔離しようとする司法のやり方に反発したのか、やがて消息を絶つ。

 

「あのバイキン女が、約束をあっさり破りやがって!! 今度はどこへ行った!?」

「探せ! 次の感染者が出る前に!!」

 

警察は5年間もかけてメアリーの捜索を続け、やっと彼女を拘束した。

 

メアリーが発見された場所は、スローン産婦人科病院。

 

彼女はニューヨークの産婦人科病院で偽名を使って、賄い婦として働いていたのである。

 

もちろん、彼女の料理を食べた看護婦達25名は腸チフスを発症、そのうち2名が死亡。

 

この事件をきっかけにメアリーは再びノース・ブラザー島へ隔離・収容された。

州政府の知事達と医師は、彼女に胆のうの摘出手術の決断を迫った。

 

チフス菌が住みついている胆のうを取り出せば済む話なんだよ?」

「手術をすれば、自由の身にさせてあげるんだからさ~」

「手術をしなけりゃ、一生この島で暮らすことになるんだぞ?」

「島を出たけりゃ、手術しますと俺達に向かって頭を下げろコラ」

 

メアリーは州知事たちや医師達の言葉に対し、

 

「絶対にイヤです!! 私の身体はどこも悪くない!!」

「痛いわけでも痒いわけでもないのに、なぜ切開手術を受けなければならないのですか!!」

 

と、断固拒否した。

 

その後メアリーは、島の病院内で看護師、介護人、実験助手、研究室の技術補佐員としての仕事をし、本などを読んで穏やかに過ごした。

 

そんなまじめに働く彼女の姿を見た州知事や医師達は「こりゃあ自分達も度が過ぎた隔離をしてしまったな」と反省し、

メアリーに「日帰り程度なら病院の敷地から出てもよい」という許可を与えた。

実際、外の世界にはメアリーを心待ちにしていた友人もいたとされ、1932年にメアリーが心臓発作で身体麻痺になり、体の自由が利かなくなる直前には、

彼女に子供たちの声が聞こえるようにと、小児病棟の近くにベッドが移されたという。

 

このことからメアリーの人柄が、どれだけ島の病院の看護師達から好かれていたかがよくわかるというものであろう。

 

そして、1938年、腸チフスのメアリーという不名誉なあだ名で呼ばれ、多くの人々に罵られたメアリーは、

過酷な運命の中でたくましく生きようとした一人の女性として息を引き取った。

享年70歳であった。

 

 

 

メアリーの死後、病理解剖の結果、やっぱり彼女の胆のうには腸チフス菌の感染巣があったことが判明した。

 

研究の結果、彼女の症例では、最初のチフス菌による感染が非常に弱く、本人の抵抗力がそれに勝ったため症状が現れず、

また同時に腸チフスに対する抗体などの免疫を獲得したために、本人には症状が現れなかったということが明らかとなり、

さらに、メアリーが腸チフス菌の保菌者と疑惑の目を向けたジョージ・ソーパーも、 メアリーと同じく腸チフスの健康保菌者だった ことも判明している。

 

後年の調査によれば、メアリーが賄い婦として働いていた当時のニューヨークは、衛生環境が非常に悪く、

散発的に腸チフス菌が流行しても、何ら不思議なことではない状況であり、

メアリーやソーパーのような健康保菌者が推定3%の確率で出現していたことが明らかとなった。

 

つまり、彼女に非は ほとんどなかったのである。

 

しかし、当時のアメリカはメアリーのようなアイルランド移民に対する差別が横行し、

さらに当時の新聞社がメアリー関連の事件をセンセーショナルに報道したため、メアリーは「腸チフス菌をばらまく魔女」のように扱われてしまったのである。

 

その影響は腸チフス菌に対する抗菌薬が開発され、死亡率が1%と大幅に下がった現代になってからも続いており、

MEAVELの「デアデビル」と「デッドプール」には「タイフォイド・マリー」という名の敵役が登場し、

『行きずりの女性と一晩を共にした後、朝起きると彼女の姿は消え、バスルームの鏡に口紅で「AIDSの世界にようこそ!」というメッセージが残されていた』という、

エイズ・メアリー」という都市伝説の元ネタの一つとされてしまう始末である。

 

 

はたして、この一連の事件は誰が悪かったのか?

 

チフスの健康保菌者でありながら、賄い婦の仕事を続けたメアリー・マロンか?

 

自身も腸チフスの健康保菌者だったのに、メアリーを一方的に隔離・収容しようとし、

彼女の死後もアメリカ癌協会でのうのうと勤務していたジョージ・ソーパーか?

 

一連の事件を過熱に報道した、当時のアメリカの新聞社か?

 

それとも、腸チフス菌が流行するほどに衛生環境が最悪だった当時のニューヨークか?

 

答えは『誰も悪くない』

 

だからこそ、メアリーの事件は『 究極の選択 』なのである。

 

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